気付いたら検事局にいた


 何故、成歩堂の誘いに乗ったのかと問われれば、自分が乗りたかったからだと、響也は答えただろう。
 七年前、はっきりとした自覚は無かったが、違和感を胸にしたまま公判を行った事は紛れもない事実で。真実が明らかとなった今、自己満足の類だと言うことは充分自覚出来たけれど、彼に謝罪したいと思ったのだ。
 当初、成歩堂は興味を示す事もなく、あからさまにはぐらかされた。
からかわれて、撤退せざる逐えない状態が殆どで、なんとなく気の置けない友人のポジションに落ち着きそうだった矢先、成歩堂の方から誘われたのだ。

 謝罪の為の場所を提供する…と。

 勿論、響也に断る理由はない。彼の人生を狂わせたのは、明らかに自分だ。たとえそれが兄に填められたとしても、そして、その兄が成歩堂の親友という関係だったとしても。

 指定された酒場はホテルの一角で、お定まりのコースを辿って部屋へ向う。あの日を思い出して、響也は手にしていた書類を机に取り落とした。
 先程から何ひとつ頭に入ってこない文字の羅列を、もう一度手にとるべく散らばった書類を整える。そうこうしていると、ドアのノックが来客を告げたのだ。
 一瞬頭に浮かんだのは、赤いスーツの弁護士だったが、響也は苦笑して椅子を引いた。そんなはずはない。確かに、変な行動をしてしまったが、気になるなら携帯にでも連絡をくれるはずだ。机の角に置かれた携帯は、仕事関係のメールや着信を伝えるのみで彼からのものは無かった。手に取り、再び元の場所へ戻す。
 おデコくんからの連絡を期待してるのかと思うと再び溜息が出た。そして気付く。
 そう、来客だ。
 一度叩かれただけで沈黙を保つ扉は、まるで、響也に無言の威圧というべきプレッシャーを感じさせた。
「すみません。今開けます。」
 足早に近づいて扉を開けると、食堂で邂逅した弁護士が静かな瞳でこちらを見返した。

 
 
 気付いたら検事局にいた。

 恐ろしい事に、徒歩だ。別に電車代が無かった訳ではなく。本当に気付いた時には、見慣れた建物の入口に立っていた。けれど、そうやって歩いた挙げ句に、小雨に降られた事もあり、王泥喜の頭は完全に冷えていた。

 どうして、あんな男のせいで、此処まで不快な気分になるのだろうか。

 そう思った途端、本当に何もかもどうでも良くなった。オフィスに牙琉検事がいなければ、帰宅しようと思った王泥喜の気持ちに反して、彼は其処にいた。
 半開きにした扉を腕で押さえたまま、薄く唇を開きこちらを見返していた。あの時の様に顔色は悪く無い。冴えた顔…とは言い難いが。
「おデコくん。」 
 呼び方にむっときた。その気分のまま言葉を吐く。
 
 携帯で言おうかと思ったんですが、考えを纏めているうちに此処についてしまったので直接話す事にしました。
 王泥喜はそう前置きをして、目の前の牙琉検事を睨み上げる。

「ああいう態度をとるの、止めて頂けますか?」
 響也が息を飲むのが見えたけれど、王泥喜は言葉を止めなかった。
「アナタが、成歩堂さんと何をしようと俺には関係ありません。俺達はそういう間柄でもないはずですよ。違いますか?」
「…その通りだね。」
「だったら、あんな思わせぶりな態度は困ります。」
「思わせぶりって…なんだよ。」 
 むっと顔を歪める相手に、わざわざ俺の口から説明させる気ですかと告げると、口元を押さえて、顔を背ける。
「あ、あれは…。」
 どんな言い訳をしてくれるのかと思っていれば、ごく普通に謝罪の言葉を口にした。

わかった。もうしないよ。迷惑をかけた。どんな言葉も、王泥喜の耳をただ通り抜ける。

「わざわざ来てくれたんだ。…お茶でも出すよ。」
 続けられた響也の言葉に、王泥喜はもはや呆れ果てた。
 何処まで天然なんだ、この男は。この雰囲気で、差し向かいに座って一体何を話せというつもりだろうか?
 溜息と共に辞退しようとした、王泥喜は答えを飲んだ。
 怪訝そうに首を傾げた響也を見上げる顔にうっすらと笑みが浮かぶのが、自分でもわかる。

 室内へと振り返った響也のシャツの下。
 普段なら服に隠されて見えないだろう鎖骨の辺りに、鬱血の後が残っていた。
明らかな情事の痕を見せつけられて、此処へ来るまでに道端へ落としてきたはずの不快感が再び鎌首を持ち上げる。記憶をひっぱりだしてみると、食堂で響也は胸元を抑えていたのを思い出す。きっとこれを隠す為だったんだろう。
 ふつふつと沸き上がる、怒りにも似た感情が王泥喜を支配していく。俺が悪いんじゃない、何処までも無防備な目の前の検事が悪いんだ。

「せっかくなんで、頂きますよ。」
「あ、ああ?」
 流石の天然も断るだろうと思っていたのか、肯定の返事に一瞬目を見開き、そして、王泥喜を部屋へ招き入れるべく大きく扉を開けた。




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